葛西紀明 海外でカミカゼ・カサイと呼ばれる理由 [スポーツ]
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1998年長野五輪の「日の丸飛行隊」の奇跡──日本中がジャンプ日本代表の団体戦での金メダルに歓喜するなか、会場では一人の男が悔し涙を流していた。
葛西紀明(41)、当時25歳だった。
当時からジャンプのエース格だったが大会2か月前に左足首捻挫。
団体戦メンバーから外れ、個人のみの出場(ノーマルヒル7位)を余儀なくされた。
「悲劇の人」とよくいわれる。
実は、長野五輪直後に当時の所属先・地崎工業が廃部に。
その4年後の2002年ソルトレークシティ五輪でも直前に所属先のマイカルが倒産。
移籍先探しに時間を取られ、結果は2種目とも40位台だった。
30代の頃から自宅に“いじめ部屋”と呼ぶウェイトトレーニングの部屋をもっていて
筋トレマシーンで体をいじめ抜いている。
今もフィジカルデータは日本代表でもトップクラス。
そうした姿勢が評価され海外ジャンパー勢の間では「レジェンド」と称されるに至った。
そしてある時からもう一つ、渾名がついた。カミカゼ・カサイ──。
欧米人から見て一番センセーショナルなのは、彼が笑いながら飛んでいること。
どんなベテランジャンパーでも踏み切り前は足が震え、失禁する人もいる。
それを笑いながら飛ぶ葛西の姿が欧米メディアのカメラが映した際『現代のカミカゼだ』との声があがったそうだ。
※週刊ポスト2014年1月31日号
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1998年長野五輪の「日の丸飛行隊」の奇跡──日本中がジャンプ日本代表の団体戦での金メダルに歓喜するなか、会場では一人の男が悔し涙を流していた。
葛西紀明(41)、当時25歳だった。
当時からジャンプのエース格だったが大会2か月前に左足首捻挫。
団体戦メンバーから外れ、個人のみの出場(ノーマルヒル7位)を余儀なくされた。
「悲劇の人」とよくいわれる。
実は、長野五輪直後に当時の所属先・地崎工業が廃部に。
その4年後の2002年ソルトレークシティ五輪でも直前に所属先のマイカルが倒産。
移籍先探しに時間を取られ、結果は2種目とも40位台だった。
30代の頃から自宅に“いじめ部屋”と呼ぶウェイトトレーニングの部屋をもっていて
筋トレマシーンで体をいじめ抜いている。
今もフィジカルデータは日本代表でもトップクラス。
そうした姿勢が評価され海外ジャンパー勢の間では「レジェンド」と称されるに至った。
そしてある時からもう一つ、渾名がついた。カミカゼ・カサイ──。
欧米人から見て一番センセーショナルなのは、彼が笑いながら飛んでいること。
どんなベテランジャンパーでも踏み切り前は足が震え、失禁する人もいる。
それを笑いながら飛ぶ葛西の姿が欧米メディアのカメラが映した際『現代のカミカゼだ』との声があがったそうだ。
※週刊ポスト2014年1月31日号
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